寒川地区を歩いて その2

寒川地区の中でも押切は永野川、杣井木川、巴波川の3本の川が合流する地域であり、洪水の危険性が非常に高く、平成27年の関東・東北豪雨では浸水面積100ha、床上浸水69戸、床下浸水9戸の甚大な被害をもたらしました。なんと、杣井木川排水機場は関東・東北豪雨時に冠水し、ポンプ能力を上回る出水が原因でエンジンが非常停止していました。一応、県は排水機場のポンプを増設し、調節地の整備を進めていますが、杣井木川の拡幅工事あるいは掘削工事をしなければ安全性は担保されないでしょう。最終的には、中里地区は輪中堤の整備、押切地区(28戸)は防災集団移転が決定し、旧県営塚崎住宅の跡地が移転先の候補地になりました。

寒川地区には小山市指定無形民俗文化財の花桶かつぎという胸形神社に合祀されている寒川天満宮の祭礼があります。五穀豊穣や家内安全、学業成就を祈念して、美しく着飾った数え年7歳の女の子たちが五色の紙の造花で飾られた花桶をかつぎ、神輿や山車を先導し、龍樹寺から胸形神社まで村中を1時間ほど練り歩きます。新型コロナウイルスの影響で2年連続中止となっていましたが、3年ぶりに無事に行われました。その地域の伝統文化を継承し、郷土愛を育めるようなまちづくりをしていきたいです。

先の大東亜戦争の終戦後に、約57万5千人の日本人がソ連軍によって、シベリアやソ連の衛星国において、厳寒環境下で満足な食事や休養も与えられず強制労働をさせられ約5万8千人がお亡くなりになりました。寒川地区からは9名がシベリアへ強制抑留され、その石碑には出身と名前が刻まれています。大東亜戦争とは一体何だったのかを我々一人一人がきちんと理解し、後世に受け継がなければなりません。