網戸地区を歩いて その1

網戸地区は思川の西部に隣接する地域で、網戸小学校を中心にまちが形成されてきました。その網戸小学校ですが、令和7年度に乙女小学校に統合されることになりました。市教育委員会によると、少子化や施設の維持管理の面から統合を決定したとのことです。しかし、網戸小学校はまちの象徴的な存在であり、地域住民の方々に長年愛されてきた学校であるため、できることなら学校の存続を前提に議論を行うべきでした。ただ単に、子供の数が減っていて、さらに維持するのが大変だから統合するというのは、やや安易な気がします。そうであるならば、子供たちを増やす施策は何か、あるいは維持管理のコストを確保するにはどうすればよいか、こういったことを議論してはじめて統合するか否かという話に本来はなるべきです。

私は学校適正配置委員会に所属していますが、そこでの議論は何かはじめから学校の統廃合ありきのような印象を受けました。当委員会が実施したアンケートを見ましたが、統廃合の是非を問うというよりかは、統廃合が是である前提で質問が並べてある印象を受けました。実際、地元住民の方々とお話をすると、統廃合に反対という方も決して少なくありません。

さらに、網戸保育所も間々田北保育所と共に統合されることが決定し、これについても網戸小学校の統合と全く同様の理由になります。これではますます網戸地区が衰退していくのは明らかです。令和5年度の9月議会において、間々田地区選出議員の高橋栄議員が、網戸小学校等の統合後の網戸地区の振興策について一般質問をされていましたが、それについて市長は、学校跡地利用計画や風土性調査の結果を考慮して施策を考えていくと答弁されましたが、長年網戸地区の中心的存在だった網戸小学校に代わるものはあろうはずはありません。